SH"U"Nとは
背景
世界の人口は日々増え続けています。国連の世界人口推計によれば、2015年現在の世界人口は73.5億人であり、1965年からの50年間で2.2倍以上に増加しています(UN DESAPD 2015)。一方で、世界では約8億人、9人に1人が飢餓に苦しんでおり、その3分の2はアジアの人々です(FAO et al. 2015)。これら人々のたんぱく質源として、水産資源への需要はこれまでになく高まっています。世界の漁業は、この数十年のうちに、特にアジア・アフリカ地域の小規模漁業を中心に近代化が進み、漁獲量が飛躍的に増えました(Mathew 2003)。2013年時点における世界の水産資源の利用状況をみると、約60%が満限まで開発され、10%がまだ十分に開発されていない状態、そして30%が過剰に漁獲されている状態にあります(FAO 2016)。ここで深刻な問題は、この過剰漁獲の割合が現在も増え続けているという現実です。 1992年にリオ・デ・ジャネイロで開催された、環境と開発に関する国際連合会議(通称 地球サミット)では、持続可能な発展を目指した「リオ宣言」と、その行動計画である「アジェンダ21」などが合意されました。その後は水産業においても、国連食糧農業機構(UN FAO)が1995年に「責任ある漁業のための行動規範」を発表し、持続可能な漁業発展のための指針を示しました。2000年にニューヨークの国連本部で開催された国連ミレニアム・サミットでは、2015年までに達成すべき8つの国際目標であるミレニアム開発目標(MDGs)が合意され、その第1番目の目標に掲げられたのが「極度の貧困と飢餓の撲滅」、そして第7番目の目標が「環境の持続可能性確保」です。そしてこのMDGsを土台として2015年に作成された持続可能な開発目標(SDGs)では、第2番目の目標として飢餓への対処と食料安全保障、14番目の目標に海洋生物資源の持続可能な利用が挙げられています。
水産物に対する世界の需要を満たし、持続可能な形で貧困と飢餓を撲滅していくためには、過剰漁獲状態にある30%の資源を適切に管理し、資源を回復させていくとともに、残りの70%についても持続可能な形で利用をつづけていくことが重要です。特にアジア海域は、世界の漁業者約5 600万人のうち84%、世界の漁船460万隻のうちの75%、世界の海での漁獲量8 100万トンのうち50%を占める、世界の漁業の中心です(FAO 2016)。アジアの魚食国であり、先進国でもある日本は、このアジアにおける漁業の持続可能な発展を実現するうえで、重大な国際的責務を負っています。
目的
水産研究・教育機構(以下 水産機構)はこれまで長年にわたり、わが国周辺ならびに公海における数多くの魚種の資源量を推定し、その結果を公表してきました(国内資源: 水産庁・水産総合研究センター 2016a, 国際資源: 水産庁・水産総合研究センター 2016b)。その成果は20年以上にわたり、政府による漁獲可能量(Total Allowable Catch: TAC)の設定や国際的な漁業管理機関における管理ルールの策定、あるいは水産業界による共同管理の取り組みを通して、漁業の持続的な発展に活用されてきました。しかしながら、今日では、水産業の持続的な発展には行政や国際機関による管理だけでなく、実際に水産物を購入する消費者自身が水産物に関する理解を深め、正しい選択をしていくことが不可欠だと考えられるようになってきています。 当機構が実施している公益性の高い研究の成果は、これまで主に行政施策に活用されてきていましたが、これを消費者のみなさまの毎日の食生活にも活用していただくことにより、アジアにおける今後の水産業の持続的な発展に、日本がより大きな貢献ができると考えられます。
そこで、政府や水産業界の取り組みに加えて、消費者自身の判断によって資源の持続可能性を担保していく活動を支えるため、科学的な情報を分かりやすく提供するツールを作成する目的で、このたびSH“U”Nプロジェクトを立ち上げることとしました。「SH“U”N」とは、Sustainable, Healthy and “Umai” Nippon seafood (サスティナブルでヘルシーなうまい日本の魚)を意味しています。 SH“U”Nプロジェクトでは、水産資源の水準や漁業管理の状態、食品としての栄養や安全性などを分かりやすくとりまとめ、消費者のみなさまに向けて公表します。水産物を購入する際にこの情報を参考にしていただくことによって、消費者のみなさまが水産資源の持続性に関する理解を深め、日本の持続的な水産物を安心して購入していただくこと、そしてまた、その水産物を積極的に購入することで持続的な水産業を担う生産現場を応援していただくことが目的です。
また、これらのとりまとめ結果と評価基準、そして評価の根拠となったデータについても、SH“U”Nプロジェクトはすべてを公表します。透明性の確保により、各地域の漁業者団体や加工流通業、認証団体、消費者団体、環境NGO、教育機関など、多様な利害関係者のみなさまにSH“U”Nプロジェクトの成果を活用していただき、次世代の食育活動や、6次産業化、地方創生、輸出拡大など、持続的な水産業の発展にむけた活動を一層活発にしていただくことも、本プロジェクトの目的の一つです。 すなわち、こうした多様な方々による多様な活動の活性化とともに、失われつつある各家庭の食卓と海とのつながりを取り戻し、消費者のみなさまが持続可能な水産資源の利用について考えていただくきっかけをつくることが、このSH“U”Nプロジェクトの最大のねらいなのです。そして将来的には、SH“U”Nプロジェクトで得られた知見と情報を全世界に発信し、日本と同様に多数の漁業者が多様な漁具・漁法をもちいて様々な海の恵みを食料として活用しているアジア諸国にも役立てていただければと考えています。これにより、魚を食する世界中の消費者のみなさまが、水産資源の持続性を考えていただけるようになるのではと期待しています。
水産システムとは?
普段の生活の中で「水産資源」というと、海や川、湖などの中にいる「さかな(魚介類)」のことを思い浮かべることが多いとおもいます。しかし、それは「水産資源」の一面だけにすぎません。実は、自然界にいくらたくさんの「さかな」がいたとしても、それだけでは「水産資源」ではないのです。私たち社会が、その「さかな」の価値をみとめ、有効に利用する仕組みが働いてはじめて、「さかな」が「水産資源」になるのです。 社会科学者EW.ジンマーマン(1888-1961)は、資源を「自然-人間-文化の相互作用から生まれるもの」と定義しています(Zimmermann 1933)。将来の世代まで資源を守り、持続的に利用していくためには、自然と人間と文化のそれぞれを守っていくとともに、その間の相互作用を強く、太く、そして調和のとれたなめらかなものにしていくことが大切です。この考え方を、水産資源について水産総合研究センター(水産機構の前身)が2009年にとりまとめた「我が国における総合的な水産資源・漁業の管理」のあり方の検討結果をもとに示すと、図1のようになります。これは、海のなかでさかなが生まれて成長し、それを一定の秩序に従って各地域の漁業者が獲ったあと、陸上の加工・流通を通じて価値が高められ、各家庭の食卓でおいしく食べられるまでを、模式的にあらわしたものです。このような、自然と社会の中のさかなの流れ全体を、「水産システム」と呼びます(水産総合研究センター2009)。
私たちは、この「水産システム」の全体を強く、太く、なめらかにしていくことこそが、水産資源を守りながら持続的に利用していく、ということだと考えます。 もちろん、海にさかながいなくては、それを獲ることができません。また、漁業や加工・流通業がなくては、さかなは食卓にはとどきません。さらに、私たちの魚食文化が消えてしまえば、さかなの価値がなくなってしまうのです。水産システムのどの部分が欠けてしまっても「水産資源」は成り立たないのです。
SH"U"Nプロ評価軸について
持続性評価項目とは? |
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評価軸1「資源の状態」 |
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水産機構が実施している資源評価は、これまで20年以上にわたり、国による漁獲可能量(Total Allowable Catch: TAC)の設定や国際機関によるルールづくりなどに活用されてきました。SH“U”Nプロジェクトではまず、評価対象となっている魚種について、十分な調査研究がなされているか、海の中にどれくらい存在しているのか、増えているのか減っているのか、持続的な利用のために透明で適正な評価システムが確立されているか、などを評価します。
評価軸2「生態系・環境への配慮」
さかなが海の中で生まれ、成長し、産卵して再生産を続けていくためには、評価対象となっている個々の魚種だけではなく、その餌となる生物や住む場所、他生物との関係を適切な状態に保つことも大切です(生物多様性条約)。さかなが海から十分な食物を得るためには、植物プランクトンや藻類の光合成による基礎生産から動物プランクトンや魚、魚食性の動物へと複雑につながる食物網や、有機物の分解まで含む物質循環が正しく機能しなければなりません。また住み場所という点でも、産卵場や子の生育場、摂餌場など発育段階や季節に応じた適切な環境が必要であり、それぞれの場において生物は複雑な相互関係をもちながら多様な生態系をつくっています。こうした海洋生態系の構造や機能の全体をバランス良く保全していくことが、個々の資源の持続的な利用につながっていきますが、生態系全体が保全されているかどうかを評価することはとても難しいことです。生態系保全のためには人間が利用しない生物、希少種の保護などへの配慮も必要です。海域の大きさや基礎生産量によって、生態系の中で生存できる生物の量には上限があります(環境収容力)。個々の生物の量は他生物との相互作用を通じて複雑に変化するため、特定の生物の量だけを独立して増減させることはできません。人間に都合の良い生物だけを増やそうとしても、生態系全体を健全な状態とすることにはなりません。我が国周辺の海でも、マイワシ・カタクチイワシ・サバなどの小型浮魚類の量が交互に多くなる現象の解明(魚種交替現象; Takasuka et al. 2008)や、瀬戸内海や三陸沖における漁業を含めた食物網をモデル化して漁業の影響を解析した研究(亘 2015, 米崎ほか2016)、漁業をふくめ汚染や埋め立てなどの人間活動によって環境収容力が変化する現象などの研究成果を通して、個々のさかなを越えた生態系の仕組みがしだいに明らかになってきました。こうした生態系の構造や機能の変化に関する問題を全てのさかなについて評価することは困難なため、SH“U”Nプロジェクトでは、生態系の仕組みを意識しつつ、漁業が他の生物や海洋生態系全体ならびに環境に与える影響について評価します。
評価軸3「漁業の管理」
日本の漁業は、欧米先進国の漁業と異なり、多数の零細な漁船が様々な漁具・漁法を使って多様な資源を漁獲し自国民の食料として利用してきた、という特徴をもっています。これは、アジア諸国の漁業に共通する特徴でもあります(Makino and Matsuda 2011)。このような漁業では、一般に、政府がトップダウン的にルールを決めてそれを漁業者に守らせるというだけでは管理がうまくいかないと考えられています。むしろ地域の漁業者の権利と責任を明確にしたうえで、政府と漁業者が協力して管理を行うことが効果的です(Gutierrez et al. 2011)。この管理手法は「漁業の共同管理(Fisheries co-management)」と呼ばれ、効率的な管理手法として近年国際的にも高く評価されるようになってきています。日本では、資源を持続的に利用するための様々な取り組みが古くから各地の漁業者によって自主的におこなわれてきました。水産庁による「資源管理のあり方検討会」の主要な結論も、「政府による公的管理と漁業者による自主的管理による共同管理の高度化」に他なりません(水産庁2014)。日本は、アジア太平洋海域に位置する魚食国として、政府による公的管理と漁業者による共同管理を高度化する努力を積み重ねるとともに、その知恵と経験を周辺の国々に発信していく国際的責務を負っていると考えます。このような考えの下、SH“U”Nプロジェクトでは、地域の漁業者と政府が協力して管理するための工夫やそこで行われている管理の内容についても評価の対象としました。
評価軸4「地域の持続性」
水産資源の持続的な利用を実現するうえで、漁業地域の文化や経済がいかに重要かという点を整理します。近年、世界では文化多様性が生物多様性と並んで重視され、人間社会の活動が生み出す文化や知識の集積は生物多様性と同様に価値があり保護されるべきだとされています(文化的表現の多様性の保護及び促進に関する条約)。日本においても、水産業は離島や半島先端部など、条件不利地といわれる地域において多くの雇用を生み出し地域経済を支えてきました。日本各地に漁業者や水産加工・流通に携わる人々がいるからこそ、各地の多様なさかなが消費者の食卓へと届けられます。地方の過疎化・高齢化の問題が顕在化する近年(増田2014)、魅力ある水産業を通じた地域の創生は、一層その社会的役割が大きくなっていくと考えられます。また、各地の漁業者が何世代にもわたり蓄積してきた海に関する知識と知恵は、漁業者による自主的管理にも幅広く活用されています。つまり、地域社会が持続的であるということは、このような多様な知識・知恵と経験が次世代に受け継がれていくことを意味します。我々が数千年にわたり住み続け、さかなを食べ続けてきた日本列島は、南北に長く伸びた列島です。北海道の亜寒帯の海から八重山の熱帯の海まで、各地の多様な生態系の恵みを活かして多様な文化と伝統がはぐくまれてきました。特に各地の魚食文化や伝統料理は、海の恵みをおいしくいただくために欠かすことのできない、そして一度失ってしまったら二度とは復元できない貴重な文化遺産です。SH“U”Nプロジェクトではこの多様な文化を守り継承していく基盤となる日本各地の地域社会の持続性が重要であると考えています。
情報提供「健康と安全・安心」
食品としての安全・安心についてです。1960年代にダイアベルグらがグリーンランドエスキモーについて行った疫学調査(Bang et al. 1976)をきっかけに、水産物に含まれる成分の健康への機能性が注目されるようになり、EPAやDHAなどのn-3系高度不飽和脂肪酸をはじめとする水産物に含まれる成分の健康への寄与が明らかにされました。さらにEPAやDHAなどの単一の成分の機能性以外にも、魚肉タンパクと魚油の相乗効果による血栓予防効果、魚と海藻の組み合わせによる中性脂肪抑制効果の増強など、複数の成分による機能性も明らかにされています(Murata et al. 2002, 2004, 水産白書 2015)。このような魚食をはじめとした和食文化は、2013年にユネスコ無形文化遺産にも登録されていますが、研究成果を背景に魚食は日本人の健康長寿の秘訣として国際的な関心も集めています。しかし、消費者のみなさまが安心して魚食文化を楽しみ、健康的な生活を送るためには、食品として安全であるということも絶対に必要な前提条件です。フグ毒や二枚貝が有毒プランクトンをたべることで毒化する貝毒などの自然毒が知られており、継続的なモニタリングが必要です。現在、日本の市場に流通している水産物は国が設定する安全基準が適用され、検査が行われていますが、どのような食品検査体制がとられているのかはそれほど詳しく知られていません。SH“U”Nプロジェクトでは、消費者のみなさまがより一層安心して水産物を購入できるよう、JASに基づく原産地表示に基づいて評価を行うとともに、食品検査の科学的根拠やその体制についてもわかりやすく情報を整理し、あわせて公表します。
SH"U"Nプロの願い
アウトリーチ活動について |
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水産機構では、今年度から開始された第4期中長期計画中に、【1.水産資源の持続的利用のための研究開発】、【2.水産業の健全な発展と安全な水産物の安定供給のための研究開発】、【3.海洋・生態系モニタリングと次世代水産業のための基礎研究】の3つの研究開発の柱と、【4.水産業界を担う人材育成】という教育の柱を掲げています。SH“U”Nプロジェクトで提案している4つの評価軸の下で行われる具体的な評価結果は、固定させるものではなく、資源や生態系に関する情報を更新するとともに、水産機構が進める研究開発の中で生み出される最新の研究成果を盛り込みながら、柔軟に改善していくものと考えています。研究開発の柱1の下で実施している「資源管理手法の高度化」、「海洋生態系の影響や社会経済状況等の視点も含めた資源管理手法の開発」は、評価軸1「資源の状態」におけるより精度の高い水産資源の解析・評価に貢献するとともに、評価軸2「生態系・環境への配慮」における、生態系等に対する影響評価の高度化に貢献することが期待されます。
研究開発の柱2の下で実施している「水産物の安全・安心のための研究開発」は、「健康と安全・安心」に直結する課題となっています。研究開発の柱3の下で実施している「海洋・生態系モニタリングとそれらの高度化及び水産生物の収集保存管理のための研究開発」は、評価軸1「資源の状態」と評価軸2「生態系・環境への配慮」の評価・判断の迅速化に貢献するものです。さらに、このプロジェクトを将来にわたって円滑に運用するためには、水産資源や海洋生態系を巡る広い視野を持った人材が必要となります。水産機構では人材育成にも積極的に取り組み、水産資源と消費者の皆さんをつなぐ研究機関として活動を展開し、その成果をSH“U”Nプロジェクトに反映させていきます。
SH"U"Nプロが考える水産システムのあり方
「水産システムとは?」で述べた通り、海の中の資源や生態系、海の上での漁業、陸の地域社会、そして食品としての健康と安全・安心という、我が国の水産システムの重要な側面のうち、どれか一つがかけてしまっても、水産資源の持続性は担保できません。この有機的な関係を見直してみると、SH“U”Nプロジェクトで取り上げる5項目は、図3のような関係にあるとわれわれは考えています。一人ひとりの価値観に基づく持続性評価を |
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水産システムの重要な側面のどれが重要かという点については、現行の法制度を守ることは当然としても、いろいろな考え方があります。安全・安心については、その重要性は論をまちません。日本の水産業はこれまで、水俣病などの公害や、福島第一原発事故による放射能汚染など、水産物の安全・安心にかかわる悲劇を経験しました。これを二度と繰り返さないことは、将来世代に対して日本水産業が果たすべき絶対的な前提条件だとわたしたちは考えます。しかし、他の4つの評価軸について、どれがどのくらい重要か、その重みづけについては個々人の価値観がかかわって来ます。ある人にとっては、資源の状態が特に重要かもしれません。生態系への影響が大切だと考える人もいるでしょう。
また、地域の持続性に特に重きをおく人もいると思います。あるいは、4つの軸がどれも同等に重要だ、という考え方もあるとおもいます。この重みづけは、科学が唯一の正しい「解答」を導きうるような性質の問題ではありません。消費者ひとりひとりが、そして最終的には社会が「選びとる」べきものです。よってSH“U”Nプロジェクトでは、評価軸の1から4について、評価の根拠となっている科学的情報をすべて公開し、その相対的な重みづけを利用者が自由に選択できるような仕組みを採用し、総合評価点については示さないこととしました。利用者の価値観、考え方に応じて適宜重みづけを変更し、自らの考えに基づく持続性評価を購買行動に結び付けていただくことを想定しています。
このようなSH“U”Nプロジェクトの情報を通じて、消費者のみなさまが水産資源の持続性に関する理解を深め、日本の水産物を安心して食べられる社会が実現されることを期待しています。